前の10件 | -

島国ジャパン [2017タイ旅行]

_DSC0025.jpgタイのショッピングビルで

プーケットからバンコクに移動した。これからバンコクに4泊する。
その第一日目。バンコクのホテルでテレビを見ていた。
各国の放送をタイ語に直したものなどが見られたりするのだが、昨夜は
たまたまJリーグをやっていた。因みにプーケットのホテルでは日本のNHKは
見られず代わりに韓国の放送がレギュラーで入っており、日本の凋落と韓国の
躍進ぶりを感じずには得られず、時代の流れを感じた。

さて、たまたまつけたテレビでは、アジアの歌や踊りの得意な若者が3人の
審査員と観客の前で芸を披露する番組をやっていた。
それを見ていて思ったのは、これに出られる芸を持つ日本人はたくさんいる
だろうということ。同時に出ることはないだろうということ。
その理由は言葉の壁だ。

日本人は世界共通語である英語が喋れない。読み書きは多少なりとも出来るのだが
しゃべるとなるとダメな人が多い。こっちの人は読み書きが出来なくてもなんとなく
しゃべっている。この差はコミュニケーションの場では大きい。

また、日本で流れている情報は国内のものが圧倒的に多いことも日本人を内向きに
している理由の一つだ。海外でテレビを付けると世界の局のニュースを見れる。
否が応でも海外の事が知れる。自然と視野が広くなる可能性がある。

日本はまだ豊かで、国内のことだけ考えていても生きていける
だから海外のことは知らなくてもいいのかもしれない。
しかし、同時に世界との交流からは遠ざかってしまっているという事実も
覚えておいた方がいい。

日本よりも経済規模が低いタイですら、一般市民レベルでもう日本以上に海外と
繋がっている。日夜海外と絆を太くしているわけだ。

日本のテレビにさよならしよう。
さっさと捨てて、外国と繋がろう。
ぬったりしたバンコクの夜に、強くそう思った。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

大人のホテルにて異変勃発 [2017タイ旅行]

_DSC9755.jpg

_DSC9796.jpg

プーケット後半戦は騒々しいパダンビーチから静かなカロンビーチに移動する計画
を立てた。泊まったホテルは、Mandarava Resort and Spa Karon Beachというところ。
パダンからカロンのホテルまでタクシーで300バーツ。約15分ほどだった。

海から少し行った高台にあるホテルは日本人では作れないようなデザインだ。
全室2階建てのビラ。部屋の2面から海、そして山並みが見え、テラスで過ごす時間が
快適な部屋だった。敷地内にはプールがいくつもあり、うるさい白人のガキにチェア
を占領されさみしい思いもしなくて済む。何だかやっと静寂が戻ってきたかのようで
嬉しかった。

しかし、その夜22時頃、Wifiが切れ、同時に電話とテレビが不通になるという事態が
勃発した。テレビもWifiも使えなくなるとすることがなくなる。電話が使えないので
歩いてフロントに伝えに行くとすぐ調べさせるとのこと。再び部屋に戻るとすぐ
メカニックが来てテレビや電話をいじくるとすぐにいなくなった。

何も言わずに去ったのですぐ戻ってくるのかと思ったら、そのまま帰って来なかった。
でまた、ロビーに戻ってクレームを付けると、1階の部屋にあるボックスをいじらないと
直せず、1階の住人はすでに眠っているので今日は何もできないという。そこでは別の
同等以上の部屋に移らせろと言うと、今日は満室で部屋がほとんどないが残っている
部屋があるのでそこに移るか聞いてきた。見に行くと眺望がぐっと見劣りする部屋だった。
すかさず断り、今夜は自分の部屋で我慢し明日の修理を待つことにし、今夜の件の補償は
きちっと埋め合わせてくれるようマネージャーに伝えるように頼んで部屋に戻った。

しばらくするとマネージャーらしき人間がやってきて今夜の件を詫びる。
そしてもう一つ部屋があるので今夜はそちらに移ってもらってもいいという。時刻は既に
夜の11時を回っている。今から部屋を変えたところで寝るだけだ。あまり意味があるとは
思えなかったが、疲れすぎて思考能力が落ちていたためふらふらと最低の品だけを持って
あてがわれた部屋に移動した。そしてすぐに眠りについた。

翌朝部屋に戻ると確かに直っていた。ところが、2日目の夜、再び切断が起きたのだ。
時刻は既に11時近い。取り敢えずフロントに行くと今から部屋を変えて欲しいという。眺望
の良い部屋があると言う。おいおい夜中だぞ。今更眺望なんて要らんわ。まして翌日バンコク
に移動するため朝9時半にタクシーが来るんじゃ。シャワーを浴びてテラスでビールを飲みながら
星を見て、その後テレビ見て寝ようとしてたのに何でフロントへの往復をせなならんのやと
いつしか心の中では関西弁になっていた。

結局相応の補償をしてもらうと伝え部屋に戻ると、昨日のマネージャーがまた現れた。
これは設備の問題なのでしょうがないと言えばしょうがないが快適な滞在が2日間も
台無しになったことは事実なのでその部分の補償をしてもらいたい旨伝えた。
あちらは、部屋を変えることで対応したがったが、明日朝チェックアウトのため荷物で
部屋が散らかっている上に今更部屋を移る意味も見いだせず、また気力体力とも使いたく
なくその旨説明する。そして交渉の末、そこで食べた2日間の夕食代無料で折り合った。

僕より厳しい妻からはそんな補償では甘いと言われたが、そのマネージャーが弱っちい
感じだったのでそれ以上求めるのが可哀そうになったのと、クレームに対して一応
何とかしようとしてくれたことに感謝し、これで手を打ったのだ。強気のごつい奴が
出てきたらこんなものでは済まさないが。

でも思うに、こういうときはホテルも思い切って1泊分無料にするくらいの太っ腹を
見せてもいいかもしれない。対応が良ければ、客はリピートする可能性がある。もし
対応が悪ければ二度と来ないばかりかSNSで思いっきり悪口を書かれることになる。

そんなわけで、穏やかな大人の滞在にとんだ土が付いてしまったのだが、
まあ、長い目で見れば旅はハプニングこそ思い出として残るという天邪鬼な
ところがあるから、これはこれで良しとしよう。

_DSC9803.jpg

_DSC9805.jpg

_DSC9768.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

4日目 ラチャヤイ島でのシュノーケリング [2017タイ旅行]

_DSC9734.jpgラチャヤイ島の途中のビーチ

4日目はラチャヤイ島へのダイビングの日だった。ところが、前の日に耳管狭窄症になり、
左耳が閉じたままなので危険を避けダイビングはやめておくことにした。
申し込みをしたダイビングショップの人が機転を利かしてシュノーケルに変更してくれた。

当日は朝7:30にパトンビーチのホテルに迎えに来てくれ、そこから45分ほどかけて港までゆく。
そこから、大型クルーザーに乗り1時間半ほどで島に着く。クルーザーの中では軽食ととコーヒー
の朝食が出て、それ以外に水、コーラ、フルーツが食べ放題である。

島に着いて船から海に飛び込んだ。水温は少し冷た目だ。水深10メートルほどのところを
シュノーケルでゆく。オヤビッチャーの群れが出迎えてくれ、適度にカラフルな魚が泳いでいる。
岩の間に巨大なウツボが昼寝しているのを発見。台湾サヨリの群れが目の前を横切って行く。

しかし海中は単調で面白い生き物に出会うこともなく、飽きがくるのには時間はかからなかった。
ダイバーもほぼシュノーケリングの我々と同じところを潜っていたが、面白くないだろうな
と思わずにはいられなかった。
この日はこんな感じで2シュノーケリングしてまたクルーザーで1時間半かけて港に戻った。

僕が今回のタイトルのような気持ちになったのはその翌日のカロンビーチでのシュノーケリング
のあとでだ。このビーチの左端からエントリーしたシュノーケリングが最高に充実してたからだ。
魚の種類も前日の島で見た魚はもちろん、それ以外の見たこともない魚がしかもたくさん泳いでいたのだ。
しかも小魚の大群にも出くわししばしその神秘的な群れの形の変化を楽しませてもらった。
恐らく1時間ほど水上を漂っていたと思う。

前日のツアーに2名で3万近く払った。今日のカロンビーチのシュノーケリングはホテルからの無料
送迎バスで無料だ。

後で知ったところでは、数年前のスマトラ沖地震の時の津波後、魚が減ったようだ。
大物が見れるという触れ込みで有名なポイントも実際には見れる確率は低いらしい。

教訓
プーケットではシュノーケリングでも十分楽しめる!




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

泣くなチャイニーズボーイ [2017タイ旅行]

_DSC9710.jpg
お揃いのTシャツを着た楽しそうな兄貴達が憎らしかった!

3日目の朝、ホテルで朝食を食べていた。
すると目の前のテーブルに20代後半と4、5歳とおぼしき中国人の母息子が
やってきて座った。ビュッフェに向かった母親が運んできたのは大量の
スクランブルエッグとこれまたビュッフェのがなくなるんじゃないかと思える
ほどの大量のスイカ。そして息子の皿にスクランブルエッグを取り分け始めた。
それを無表情にじっと眺める息子。その光景があまりにもシュールで僕の心を打ち、
観察体制に入った。

取り分け終わった母親が冷たく食べるよう促す。
子供は大っ嫌いなものを無理やり食べさせられているときの露骨な表情を
浮かべながら、いやいや一口口に運ぶ。そしてくねくねとうねりながら、スプーンで
皿をこねくり回し始める。
テーブルには大量のスクランブルエッグ以外にビュッフェのが一掃されたん
じゃないかと思われるぐらいのこれまた大量のスイカが置かれている。
母親はひとしきり電話で話し終えた後、ほとんど食べていない息子を叱りつける。
寂しそうな表情でじっと聞いている息子。そしてあごをテーブルに乗せ再び皿をこねくり回す。

しばらくすると、ホテルで知り合ったのか中国系の同い年くらいの小太り少女が
スキップでやってきて入り口でサンタにもらったチュッパチャップスを坊やと
見せ合いっこしてる。このとき坊やの顔に初めて笑顔が浮かんだ。
少女が去ると皿が減ってない息子を叱り始めた。そして立ち上がりかなり大きな声で
罵倒すると息子の尻をつねった。そしてあなたは最後まで食べてなさいみたいな
言葉を残して一人行ってしまった。すると一人残された坊やが泣き出し、出口に向かおう
とすると途中に先ほどの小太り少女のテーブルがあり、少女に付き添われて元のテーブル
に戻ってきた。

その小太り少女が優しく声をかける。すると先ほど出て行った母親が外のドアから
自分達のテーブルの前に来て中に入ろうとする。そしてドアの鍵を少女に開けさせ
ようとする。少女が鍵を開けようとするが、開かないと見るやふたたびレストランに
戻ってくるや否や大声で息子を叱りつけ息子の手を掴んで引っ張って行こうとする。
すると息子はますますパニックになり大きな声で泣き叫ぶ。それを見かねた先ほどの
小太り少女の母親が声をかけると中国語でその母親に反論して黙らせてしまった。
そして子供を引きづるようにして出て行ってしまった。

自分が見る限り子供に非があるようには全く見えなかった。
母親の押し付け、エゴが勝手に炸裂して子供を不幸にしているのが見たものの全てだった。
このチャイニーズボーイが大きくなって性格がひん曲がらないことを真剣に祈ったよ。
泣くなチャイニーズボーイ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

耳難勃発とその対策 [2017タイ旅行]

_DSC9668.jpg 夜のパトンビーチの賑わい
滞在3日目。耳は塞がったままだ。
明日は2ダイブを申し込んだというのに大丈夫か。一抹の不安が心を駆け抜ける。
たまたま別件で現地ダイブショップの人に電話する必要があったのでついでに
耳のことを聞いてみた。

「あー、風邪の人は結構なるんですよね。耳の道が細くなり、空気が抜けなくなって
しまうんですよ。風邪が治れば自然に元に戻るんですけどね。え?何か早く治す方法は
ないかですか? そうですね。白湯をガブガブ飲むといいですよ。でその上で鼻つまん
で息むと抜けるときありますよ。また耳抜き用の薬が薬局で売ってますからそれ飲む
のもいいでしょう。でも風邪治ってからじゃないと飲んでも効かないかもしれません。
飲んでから効き目が現れるまで8時間ほどかかりますよ」

そして今、バスタブに湯をためながら、白湯を飲みまくっている。
後で夕食時に外に出たときに薬を買う予定だ。

思えば、行きの飛行機で酒を飲むべきじゃなかった。
そして、海外旅行者保険に加入しておくべきだと後悔させられた。

××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

それから30分後。
持参したipadで調べると、耳管狭窄症というものになってるらしい。
この耳の抜けない状態でのダイビングは悪くすると頭痛が起きたりさらに
やっかいな状態になる恐れがあるためやってはいけないと書かれていた。
明日のダイブは自分はキャンセルし妻だけに行ってもらうことにして、
ダイブショップにその旨メールを入れた。すると、気の利いた店長がダイビング
からシュノーケリングに変更してくれるという。で妻に言うと、それじゃあ
二人ともシュノーケリングをしようということになり、その旨希望を伝え変更
してもらった。

普段あまり気にも留めない耳。
でも何かあるとほんと困るところである。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

祝タイ上陸 [2017タイ旅行]

_DSC9633.jpg
初めてのタイ旅行。
最初にプーケットに5泊してその後バンコクに4泊する旅程だ。
出来るならミャンマーやラオスとの国境にも足を伸ばしたかったけど、今回は
ゆっくり楽しむことを優先した。

実は前日に風邪をひいた。妻が1週間前から風邪ひいてたのをもらったんだと思う。
体調管理にはかなり気を付けていたんだけれど前日に表面化するとはね。
参った。まあでもこの時点ではタイの暑い気候で治るだろうと気軽に考えてた。

そのまま成田から飛行機に乗ってバンコクで乗り継ぎし、プーケットに向かったのだが
おそらく気圧の変化か何かが影響したんだろうけどその飛行機内で左耳が聞こえ
づらくなってしまった。そして今翌日の夜に至っても聞こえないままだ。

片一方の耳がこれほど長時間聞こえないというのはこれまであまり経験がなかった。
いや、本当に嫌なもんだ。話すと自分のくぐもった声がわんわん鳴り響く。
聞こえづらいし話しづらいので口数が減り、それに伴い気分が沈む。
楽しい旅先でのことと思うと余計腹が立つ。

後で分かったんだが、風邪ひいて飛行機に乗るときは、あまりお酒を飲まない
ほうがいいらしい。どうも耳の穴が塞がりやすくなってしまうようだ。
ジントニックを2杯とビールを飲んだことを鬼のように後悔するのは耳が聞こえない
状態がその後1週間以上続いたころのはなし。

価格メモ
23日
プーケット空港ーパタンビーチ タクシー 1400 + 50チップ
ホテルボーイ チップ20
夕食 海鮮料理 630+チップ70
24日
アロママッサージ 2人分1000+チップ100
夕食 680 (10%サービス料込み)
水38 塩9
フットマッサージ2人分500+チップ100

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

LAから東京へ [2016 USA Puerto Ricoの旅]

DSCN1291.JPG

かくして4/16-5/8までの3週間の旅の終着点、LAにたどり着いた。
思い出の地の再訪、そして長年訪れてみたかった地の訪問が叶った旅だった。

・生のネイティブアメリカンの暮らしを見ること
・サンタフェの町を訪れること
・ジョージアオキーフの暮らした土地を訪れること
・セドナを訪れること
・アメリカを横断的にに長距離車で旅すること
・プエルトリコを訪れること

人は年を取るとともに運命に逆らわなくなる。そのせいか、起こることは
そうプログラムされていたんだと最近思うようになった。

今回の旅も、いつか訪れることになっていたんだと思っている。
訪れた場所、出会った人、起きた事も全てそうなる運命だったと。

人は年と共に、理解できないことに不安を覚えるせいか、
たいして脳みその詰まっていない頭で無理やり理由をねつ造する。
自分の場合もそうなのかもしれない。

人は、この旅で何かが変わるんじゃないかと淡い期待を持って旅に出る。
でも何か起こることはほとんどなく、
疲れた体を引きづって帰途に就くことになる。

旅にはそんな淡い期待を抱かせるところがある。
ロマンチストな旅人はコロッと騙され、落胆して帰途に就く。

現実を変えられるのは、現実の中だけということか。
それが容易じゃないから旅に出るのに。

それでも、自分は旅を止めない。
旅という制約から解放された非現実の世界では、心を解き放ち
自由に飛び回らせてやることが出来るからだ。
過去から未来まであらゆることを自由に考えられる機会は尊い。

だから、自分はこらからも旅を続けるだろう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

LAの高速を見ながら聴くラリーカールトン [2016 USA Puerto Ricoの旅]

KIMG1865.jpg

デザートヒルズ プレミアムアウトレットを出るとそのままLAに向かった。

目的地は今夜の宿があるWestwood近く。
Freeway405号線とサンセットブールバードが交差するあたりに立つ
Hotel Angeleno (ホテルアンジェリーノ)だ。

jqg_14616176884.jpg

_DSC3602.jpg

_DSC3605.jpg

右上手にはゲッティーミュージアムが見え、405号線の反対側はUCLAロサンゼルス校
という好立地にあり、サンタモニカの海岸までもすぐ。

ホテルはいわゆるブティックホテル。
インテリアにこだわりが見られる。
売りはなんといってもホテルから見える高速の景色だ。

夜になるとその光景が実に絵になる。
この部屋で音楽を聴きながら、夜景を肴に酒を飲みたいと思う。
ふと浮かんだのは、ラリーカールトンのRoom335だった。



Room335には特別な思い入れがある。

メキシコの海辺の町に住んでいたときに、夕暮れ時のビーチでよく聞いた。
確かCDプレーヤーで聴いていたと思う。
(あのCDプレーヤーどこにいったんだろう?)
もともとは親友の家で初めて聴いて気に入った。

当時、海辺の町に引っ越して仕事をスタートさせたばかりで、
それがうまくいかずもんもんとする日々を送っていた。
その嫌な気分を紛らわすために、毎日夕暮れになると浜辺に行き、この
カールトンのCDを聴いていたのだ。

だから、この曲を聴くと当時を思い出し、人生の宙ぶらりん状態にいる気分になる。
それはある意味、旅をしているときの心情に近いのかもしれない。

徐々に夜が更けてゆく。
深夜の高速はまだ眠らない。

交通量が減った高速を1台のセダンが通り抜けてゆく。
仕事を終えて家に帰るところか。
それとも、恋人との別れ話のあとか。

いろいろな人生を乗せて、深夜の高速を車が行き交う。

_DSC3614.jpg

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

コーチのベルトで思うこと デザートヒルズ アウトレット [2016 USA Puerto Ricoの旅]

desert.jpg

パームスプリングでDesert Hills Outletに寄った。
砂漠の中にあって、そのロケーションが素敵な広大なアウトレットだ。

ここは記憶が定かではないのだが、確か15、6年ほど前に訪れ、コーチの
ベルトを買ったことがあり、今回もそこを目当てに訪れた。

dese2.jpg

自分はブランド志向ではない。
そもそもブランド品を身に着けるような身分ではない。
ただたまたまそこで見たコーチのベルトが割安なうえに、品質、デザインともに
優れていたから購入したまでだ。
そのベルトは15年経った今でもしっかりしていて日々愛用している。

さて、15年前のコーチにはプレミアム感があったが、今回のアウトレット
ではその思いはもうなかった。置いてある商品のデザインがなんとなく
垢ぬけてなく、品質もいまいちだった。

品質について言えば、15年前に買ったベルトはバックルが真鍮製で、
革の厚みもしっかりあったが、この再訪時に見たベルトはシルバーメッキの
安っぽいバックルで革の厚みもペラペラだったのだ。

コーチもこの15年で大きく成長したんだろう。
そして、顧客層もより大衆化したことは間違いない。
それに伴い、大量生産するようになり、品質が落ちて行ったと推察される。

そこでふと考えた。
自分の身に着けるもので15年程度経っても、今でも使っているものって
他にあるだろうか?

なんと靴が1足だけだった。
10年選手は結構いるが、15年はほとんどいない。
つまり、途中で駄目になるか、飽きて捨ててしまったのだろう。

思わず、自分のモノの選び方、モノとの接し方について改めて考えさせられた。
まだまだ甘い!と。

des3.jpg

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

こんなところにリゾートが レイク ハバスシティ Lake Havasu City [2016 USA Puerto Ricoの旅]

lake Havasu City.JPG

キングマンからLAに向かうのに、途中パームスプリングス近くにあるデザートヒルズ
というアウトレットに立ち寄るため、Freeway40号から国道95号線に乗り換えた。

_DSC3596.jpg

あたりは荒涼たる乾燥地帯だ。そんな中しばらく走ると右手に思わぬ景色が広がった。

c970c401188144557ff520c32f8b1e0e.jpg

arizona-lake-havasu.jpg

湖とその周りに立ち並ぶコンドミニアムやリゾートホテルだった。
え?こんな田舎に?一体ここはどこなの?
と調べてみると、レイクハバスシティ (Lake Havasu City)という町だった。
人口は6万人くらいだが、ここはスプリングブレイクとジェットスキー
で人が集まるリゾートタウンだということが分かった。

確かに地図で見ると砂漠の中の湖だ。そこにはコロラド川も注ぐ。
水を求める人が憩いに来るにはもってこいだ。
こんな非日常なところで数日ボケっとして過ごすのも悪くない。

そんなことを思いながらあっという間に通過して、
荒涼とした大地が続く現実の中に舞い戻った。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。