2016 USA Puerto Ricoの旅 ブログトップ
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LAから東京へ [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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かくして4/16-5/8までの3週間の旅の終着点、LAにたどり着いた。
思い出の地の再訪、そして長年訪れてみたかった地の訪問が叶った旅だった。

・生のネイティブアメリカンの暮らしを見ること
・サンタフェの町を訪れること
・ジョージアオキーフの暮らした土地を訪れること
・セドナを訪れること
・アメリカを横断的にに長距離車で旅すること
・プエルトリコを訪れること

人は年を取るとともに運命に逆らわなくなる。そのせいか、起こることは
そうプログラムされていたんだと最近思うようになった。

今回の旅も、いつか訪れることになっていたんだと思っている。
訪れた場所、出会った人、起きた事も全てそうなる運命だったと。

人は年と共に、理解できないことに不安を覚えるせいか、
たいして脳みその詰まっていない頭で無理やり理由をねつ造する。
自分の場合もそうなのかもしれない。

人は、この旅で何かが変わるんじゃないかと淡い期待を持って旅に出る。
でも何か起こることはほとんどなく、
疲れた体を引きづって帰途に就くことになる。

旅にはそんな淡い期待を抱かせるところがある。
ロマンチストな旅人はコロッと騙され、落胆して帰途に就く。

現実を変えられるのは、現実の中だけということか。
それが容易じゃないから旅に出るのに。

それでも、自分は旅を止めない。
旅という制約から解放された非現実の世界では、心を解き放ち
自由に飛び回らせてやることが出来るからだ。
過去から未来まであらゆることを自由に考えられる機会は尊い。

だから、自分はこらからも旅を続けるだろう。


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LAの高速を見ながら聴くラリーカールトン [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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デザートヒルズ プレミアムアウトレットを出るとそのままLAに向かった。

目的地は今夜の宿があるWestwood近く。
Freeway405号線とサンセットブールバードが交差するあたりに立つ
Hotel Angeleno (ホテルアンジェリーノ)だ。

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右上手にはゲッティーミュージアムが見え、405号線の反対側はUCLAロサンゼルス校
という好立地にあり、サンタモニカの海岸までもすぐ。

ホテルはいわゆるブティックホテル。
インテリアにこだわりが見られる。
売りはなんといってもホテルから見える高速の景色だ。

夜になるとその光景が実に絵になる。
この部屋で音楽を聴きながら、夜景を肴に酒を飲みたいと思う。
ふと浮かんだのは、ラリーカールトンのRoom335だった。



Room335には特別な思い入れがある。

メキシコの海辺の町に住んでいたときに、夕暮れ時のビーチでよく聞いた。
確かCDプレーヤーで聴いていたと思う。
(あのCDプレーヤーどこにいったんだろう?)
もともとは親友の家で初めて聴いて気に入った。

当時、海辺の町に引っ越して仕事をスタートさせたばかりで、
それがうまくいかずもんもんとする日々を送っていた。
その嫌な気分を紛らわすために、毎日夕暮れになると浜辺に行き、この
カールトンのCDを聴いていたのだ。

だから、この曲を聴くと当時を思い出し、人生の宙ぶらりん状態にいる気分になる。
それはある意味、旅をしているときの心情に近いのかもしれない。

徐々に夜が更けてゆく。
深夜の高速はまだ眠らない。

交通量が減った高速を1台のセダンが通り抜けてゆく。
仕事を終えて家に帰るところか。
それとも、恋人との別れ話のあとか。

いろいろな人生を乗せて、深夜の高速を車が行き交う。

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コーチのベルトで思うこと デザートヒルズ アウトレット [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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パームスプリングでDesert Hills Outletに寄った。
砂漠の中にあって、そのロケーションが素敵な広大なアウトレットだ。

ここは記憶が定かではないのだが、確か15、6年ほど前に訪れ、コーチの
ベルトを買ったことがあり、今回もそこを目当てに訪れた。

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自分はブランド志向ではない。
そもそもブランド品を身に着けるような身分ではない。
ただたまたまそこで見たコーチのベルトが割安なうえに、品質、デザインともに
優れていたから購入したまでだ。
そのベルトは15年経った今でもしっかりしていて日々愛用している。

さて、15年前のコーチにはプレミアム感があったが、今回のアウトレット
ではその思いはもうなかった。置いてある商品のデザインがなんとなく
垢ぬけてなく、品質もいまいちだった。

品質について言えば、15年前に買ったベルトはバックルが真鍮製で、
革の厚みもしっかりあったが、この再訪時に見たベルトはシルバーメッキの
安っぽいバックルで革の厚みもペラペラだったのだ。

コーチもこの15年で大きく成長したんだろう。
そして、顧客層もより大衆化したことは間違いない。
それに伴い、大量生産するようになり、品質が落ちて行ったと推察される。

そこでふと考えた。
自分の身に着けるもので15年程度経っても、今でも使っているものって
他にあるだろうか?

なんと靴が1足だけだった。
10年選手は結構いるが、15年はほとんどいない。
つまり、途中で駄目になるか、飽きて捨ててしまったのだろう。

思わず、自分のモノの選び方、モノとの接し方について改めて考えさせられた。
まだまだ甘い!と。

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こんなところにリゾートが レイク ハバスシティ Lake Havasu City [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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キングマンからLAに向かうのに、途中パームスプリングス近くにあるデザートヒルズ
というアウトレットに立ち寄るため、Freeway40号から国道95号線に乗り換えた。

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あたりは荒涼たる乾燥地帯だ。そんな中しばらく走ると右手に思わぬ景色が広がった。

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湖とその周りに立ち並ぶコンドミニアムやリゾートホテルだった。
え?こんな田舎に?一体ここはどこなの?
と調べてみると、レイクハバスシティ (Lake Havasu City)という町だった。
人口は6万人くらいだが、ここはスプリングブレイクとジェットスキー
で人が集まるリゾートタウンだということが分かった。

確かに地図で見ると砂漠の中の湖だ。そこにはコロラド川も注ぐ。
水を求める人が憩いに来るにはもってこいだ。
こんな非日常なところで数日ボケっとして過ごすのも悪くない。

そんなことを思いながらあっという間に通過して、
荒涼とした大地が続く現実の中に舞い戻った。

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モーテルに泊まろうラマダ キングマン RAMADA Kingman [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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明日の夜はどこに泊まろうかとipadを開く。
どうせなら、アメリカの映画に出てくるような、街道沿いのしかも周りには
何もないような場所のモーテルに泊まりたいと思った。

そこで選んだのが、アリゾナ州のラマダキングマンだった。
キングマンはルート66が栄えていたころの要所だ。
現在人口7万人弱らしいが、このホテルはその小さな町のはずれに立っていたのか
まわりは何もないに等しかった。

夜レストランに行こうかと車を走らせるも、まずそうなダイナーと中華料理、
そしてハンバーガーチェーンがあるだけ。しょうがなくハンバーガーチェーンで
テイクアウトするかと近づくと、ローストビーフでお馴染みのアービーズがあったので
久しぶりと購入して夕食にした。

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ホテルは、入り口にスカイブルーのクラシックカーが陳列され、ルート66と大書きされた
看板が下がり、それが好きな人のハートにはビンビン突き刺さるのだろう。
中はきれいで、ベッドも大きく、プールが心地良さそうで好印象。
しかし、プールの入り口がカギが掛かっており、フロントに伝えたら、すぐ行く
と言われ待つこと20分。入ろうとしたプールは水が冷たすぎて断念。

古い街道沿いのモーテルは、想像通り、アメリカ的ドライなものだった。
まあ、それを期待していたような部分もあり、そういう意味で期待を裏切らないで
いてくれたともいえる滞在だった。
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ルート66は既に過去へ [2016 USA Puerto Ricoの旅]

セドナからフラッグスタッフに戻り、そこからFreeway40号を西にひた走る。
次の見どころはルート66だ。いわゆる昔の街道である。

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アルバカーキーからは、Freeway40 号に沿ってずうっとルート66が走っている。
だからどこでもルート66の痕跡を見ることが出来る。
しかし、ルート66というとセリグマンからキングマンまでの間が有名らしい。

そうこうしているうちに、1軒のジェネラルストア(いなかの雑貨屋)が
見えてきたので立ち寄った。

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そこは観光客でいっぱいだった。
店の中はルート66っぽいお土産グッヅで溢れかえっている。
ステッカーやナンバー-プレートから、当時っぽい洋服までいろいろだ。
当時は洗剤や日曜食品で溢れかえっていただろうに。
人が多いこともあって、残念ながら当時にタイムスリップすることは叶わなかった。

一観光客の身分でありながら、観光客の多いところは苦手だ。
そして、観光客を当て込んで作られた店も苦手だ。
まがい物臭がするものは嫌いなのだ。

こんな所で今の時代に作られたMade in ChinaのTシャツを買う気はさらさらない。
心を動かされることは全くなく、早く退散したくなる。

だから、テーマパークの類も好きになれない。
その延長で、儲けたろとギラギラさせている輩も遠慮したい。

年齢とともにこの傾向は強まってきたような。
加齢による偏屈化が順調に進んでいるのか、本物志向になってきたのか。
真相は闇の中だ。

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憧れのセドナへ Sedona Dreamin [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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今回の旅は魅力的な見どころのオンパレードな行程だが、
サンタフェ近郊の先住民文化を東の横綱とすれば、セドナは西の横綱だ。

僕がセドナのことを知ったのは2006年のこと。仕事で調べものをしているとき、
地球の磁場が通っていると言われるセドナのことを知った。それ以来、ずっと
訪れることを願っていた。

フラッグスタッフから17号線を下っていく。
遠くに雪をかぶった山が見える。
しばらく行くと、あっと息を飲んだ。奇怪な形をした岩山が見え始めたのだ。

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初めて見る赤い岩山。それがあちこちに点在している。
その中でもベルの形をした均整の取れた岩山が見えてきた。
ベルロックだ。ベルロックは男性性の高い山で、直感と決断力の山と言われる。

翌日早速、この山に登った。
小さな岩山なのでベースまでのトレッキングなら片道30分位でOK。
そこから上にいけるのだが、決まった道があるわけではない。
なんとなく登れそうなところを登っていく感じ。
自分の道は自分で切り開くということか。
50代くらいまでの普段運動している人ならなんとかこなせると思う。

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ある程度登ると、これより先は危険と本能的に分かる地点がある。
そこで断念して下を眺める。

乾いた広大な大地。
周りを取り巻く岩山たち。
そこには力に満ちた静寂が横たわってた。

今回のセドナ訪問で、よく言われるように「セドナでパワーを感じた」ということは
僕には起こらなかった。
願っていたところに来れた感動に包まれ、そこでわずかな思い出を
作ることが出来たという至って普通の体験だ。

これまでを振り返ってみて思うのは、旅って、みなそんなものだ。
でもそれでも振り返ると心に確実に刻み込まれている。

その場所がパワーなのではなくて、思い出がパワーになるのだ。
僕はそう思う。
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オリーブガーデンでお昼を in Flagstaff [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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バリンジャー(メテオ)・クレーターを見たあとフリーウェイ40号線に戻り、
途中フラッグスタッフ(Flagstaff)という町で昼食をとった。入ったのは
「Olieve Garden」というアメリカ人の好きそうなイタリアンのチェーン店。

何から何まで大きく、ウェイトレスも気前が良かった。コーラは特大の透明
プラスチックのコップに注がれ何杯でもおかわり自由。おまけに店を出るときは
新しいものを持ち帰り用特大容器に入れてくれる。パスタのチーズかけサービス
もパスタが完全に見えなくなり、チーズが層をなすまで上から振りかけてくれる勢い。
焼きたてで出される塩パンも美味しく、これまたなくなるとお代わりが出てくる。

たまたま両隣の別々のテーブルに女子高校生二人組と30代女性二人組がそれぞれ
座った。女子高生は今どきのアメリカン・ティーンで痩せている。でも食べる
量はすごい。30代女性は二人とも見事な体格の持ち主だ。彼女たちの体型を
見ていて何だかビフォーアフターを見ているようだった。灼けつくようなアリゾナ
の太陽を見ていると体型などどうでもいいと思えてくる。そのせいか皆さん押し
なべて肥えていらっしゃる。体型なんていうのも実はいい加減なもので、住んで
いる環境に左右されるものなんだろう。

しかし、こんな料理が続くとしみじみ味噌汁が飲みたくなるのだ。

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大隕石の跡 バリンジャー・クレーター Meteor Crator [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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隕石や鉱物なんてのは興味のない人には眠たくて仕方のない話題だ。
僕もそれだけを見せられて講釈ぶたれたらつらい。でも河原で変わった石を
拾ったりキャンプで流れ星を見たりするとそういうものに俄然興味が沸いて
くるから不思議だ。

今回、道のりの途中に大隕石が落ちて出来た穴があると知ってこの目で見て
みたくなった。

訪れたのはホールブルックとフラッグスタッフという町の間あたりに位置する
バリンジャークレーターだ。wikipediaによるとここは今から約5年前に宇宙から
飛来して落ちた隕石によって出来たクレーターで直径約1.2-1.5キロメートル、
深さ約170メートルとのこと。このあとの説明がまたすごい。ちなみにウィキ
ペディアは個人が書いている情報で正しくない場合も多いので参考のみに留めて
おいて欲しい。以下ウィキペディア抜粋。

バリンジャー・クレーターを作ったのは直径約20 - 30メートルの鉄金属隕石 である。隕石は太陽よりも輝かしく燃えながら大気圏を通過し、時速4万キロ メートルを超える速度で落下したと考えられる。そして、地上に激突した隕石は 凄まじい爆発を引き起こした。そのエネルギーはツングースカ大爆発の3倍を 超えると推測される。
(以下一部省略)

衝突地点ではあらゆる物質が融解・気化し、高温高圧によって炭素からダイヤ モンドが生成された。衝突によって生成されたダイヤモンドはクレーターの ごく近くと、ディアブロ峡谷でのみ発見されている。衝突はマグニチュード 5.5以上の地震を引き起こし、クレーターの外側にあった30トンの石灰岩の塊を 突き動かした。

衝突地点から半径3キロメートルから4キロメートル以内の生物は、衝突と同時 に死滅した。その後、衝突によって発生した巨大な火の玉によって半径10キロ メートル以内のあらゆる物質を焦がし、時速2,000キロメートルに及ぶ衝撃波が 半径40キロメートル近くまで広がり、半径14キロメートルから22キロメートル までのすべてを何もない荒野に変えた。しかしながら、この衝撃が地球の気候 に大きな影響を及ぼすことはなく、100年ほどで動植物が再び根付いた。

クレーターを見た瞬間はやはりそのスケールに圧倒された。
しかし、その後館内で月のクレーターとの比較図を見たときに戦慄が走った。
目の前のクレーターでさえスタジアムが数十個入る規模なのに、月のクレーター
はこのクレーターが数百個入る大きさだという(うろ覚えの情報です)。
月のクレーターを実際に見たとしたら、その広さ、深さに恐怖を覚えるかも
しれない。

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化石化した木。2億年以上も前に出来たと推定。クレーターの近くに「化石の森国立公園」
がある。
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走れホールブルックへ Albuquerque to Holbrook [2016 USA Puerto Ricoの旅]

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サンタフェを後にして次の目的地ホールブルックへ向かった。
本当は午前中にサンタフェを出たがったのだが、出たのは夕方5時近くになって
しまった。今回アレキサンダー・ジラルドのフォークアートミュージアムの
閉館時間17時を目指して車を走らせたが間に合わなかった。ここは必ず寄り
たかった所だったのでとても残念だ。しかし、アルバカーキーからロサンゼルス
まで走ってそこから日本行きの飛行機に乗らなければならないため、先を急がな
ければならない。それに明日からも各所での見どころが待っている。

次の目的地ホールブルックはかつてのルート66の宿場町的な町で、あるブログに
よると1884年にアメリカで2番目に大きい牧場が出来、1000人のカウボーイが
働くことになり、町はアウトローがはびこり荒れ放題になったとある。1914年
までは教会もなく、絞首刑が行われていた唯一の町だったそうだ。

さて、夜21時くらいになんとかホールブルックに着いた。途中午後から日が沈む
までのフリーウェイは、西日が低い角度から強烈に車内全てを照らしてきて相当
きつかった。

ホールブルックに入って目に付いた田舎のダイナーでステーキの夕食をとったあと
街道沿いのトラベロッジ(Trabelodge)というチェーンの安宿に滑り込み、
ベッドに吸い込まれていった。

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